SHINGAKUKAI 70th
Interview

子どもたちみんなが、夢中になれるものと出会ってほしい。私たちはいつも、そう願っています。信学会ではこのサイトを通じて、夢中で何かを続けてきた人たちから、見つけ方や向き合い方などをうかがい、お伝えしていきます。

vol.1

小平奈緒さん


やり遂げると、
新しい自分が生まれる

インタビュー記事第1弾は、元スピードスケート選手で平昌五輪金メダリストの小平奈緒さん。幼少期からスケートにのめり込み、世界のトップとして活躍を続けた小平さんに、競技に没頭できた理由や、心掛けてきたことなどをお聞きしました。(以下、敬称略)

中途半端では「夢中」は生まれない

― 金メダルを取った平昌五輪は「集中がすべて注がれた大会だった」とコメントしていました。そのために、どんなことをしたんですか?

小平:いつもと違うことをしないように意識しました。オリンピックだからこれをやろうとか、こう意識しようとか、験担ぎしようとか、そういうことに気を取られず、自分のルーティンを崩さないようにしました。

― それは、オリンピックまでの積み重ねがすべてだと思っていたからですか?

小平:今さら何を変えてもしょうがないと思っていたので(笑)。その時点の「実力以上」を求めるのではなく、没頭する。

― 没頭は、夢中になるとはまた違いますか?

小平:「夢中になる」のその先に「没頭する」という世界があると思うんです。それは、自分でつくり出せるわけではなくて、粛々とやっているうちに自分がそこにいるという感じです。

― それまで準備を積み上げてきたから粛々とできたんでしょうか?

小平:オリンピックをゴールにしていなかったということもあります。よく「駆け抜ける」という言葉を使っているんですけど、もっと上には上があると思って、一日一日の学びを大切にしていました。その積み重ねでオリンピックに来ていたので、「ここまで準備したものを発表する」というよりは、それまで積み上げてきたものの8割くらい出せればいいかなという心持ちで、少しハンドルに余裕を持てていたと思います。

― その「積み重ね」の一環でもあると思うんですけど、つらい練習はニコニコしてやるように心掛けているそうですね。その理由や秘訣は何ですか?

小平:中途半端にやっていると、「夢中」は生まれてこない。目の前にあるつらいこととか、苦しいこととか、挑戦しなければいけない場面で、やり遂げた先に生まれてくるのが「夢中」だと思うんです。

― 小平さんが言うと、とても説得力がありますね。

小平:それなりに汗もかかないといけないし、歯を食いしばらなければいけない。ときに血の味のするようなトレーニングもあります。でも、それをやり遂げる。つらい「から」諦める、じゃなくて、つらい「けど」やり遂げる。そうすると達成感や爽快感だけでなく、その先に新たな発見があるんです。体や心が変わることで、新しい自分が生まれてくる。挑戦の前に諦めてしまうと、「夢中の世界」「没頭の世界」は見られないと思います。

― その境地にはいつ辿り着いたんですか?

小平:中学時代です。学校の部活と地域のクラブを掛け持ちしていたので、すごくトレーニング量が多かったんです。今、振り返ってもよくやっていたと思います。トップ選手が必死になってトレーニングしている姿をテレビで見て自分と重ね合わせたり、仲間たちが頑張っている姿を想像したりして頑張っていました。でも、やっぱり「がむしゃらに」とか、嫌々やるのは苦しいので、つらいことはどうスケートに結びつくのか見つけ出そうという意識は持っていました。

― 前向きな気持ちを保てたのはどうしてだと思いますか?

小平:自分のやりたいと思う気持ちを、両親が支えてくれたことが大きかったですね。部活が終わってから午後6時過ぎに家を出て1時間以上かけて宮田村まで移動して、7時半から9時まで練習、そして家に帰る。そうすると10時半になっているんです。でも、申し訳ないという気持ちより、サポートしてくれている、見ていてくれるという安心感のほうが大きかったです。

スポーツは目的ではなく、手段

― 小学生のころ、長野五輪を見て「勝つことより、頂点を目指す場所をつくりあげることに憧れた」と聞きました。

小平:勝ち上がっていくことより、多くの人と共鳴する空間をつくり上げるということに憧れたんだと思います。もちろん、強くないと出来ないことではあるんですけど、弱さを引っくるめて、自分を表現できる人がそういう空間をつくれるのかな、と思っています。

― トップを走るアスリートに勝ち負けより大事なものがあるというのは少し意外な気がしました。

小平:子どものころは何となくかもしれませんが、そういう気持ちにちゃんと気づいたのは、平昌五輪で金メダルを取ったときです。「私、このメダルを取るために頑張ってきたんじゃないんだ」って思ったんです。というのも、メダルを手にしたときはあっさりした感じだったんですけど、色んな人に見てもらったときに、この金メダルに意味があったと思えて。

― 徐々に実感が湧いたということではなく?

小平:そういうものとは違って、喜んでくれる人の顔から、ずっと応援してくれていた「過程」を感じ取ることができたんです。それが何よりもずっしりきました。タイムと順位という結果よりも「応援してくれた人がこんなにいたんだ」「思いをともにしてくれていたんだ」と感じたときに、金メダルを取れてよかった、と思いました。

― 平昌五輪で、小平さんのタイムに届かず涙するイ・サンファ選手を抱擁するシーンは多くの人に感動を与えましたが、そういう意識がライバル選手を思いやるという行動に現れたんでしょうか?

小平:あれは私にとって普段通りの行動でした。私は人を蹴落としてとか、人の上に立つ、というスタンスは好きじゃなくて、ずっと自分をどう表現したいかを探しながら競技を続けていたんです。日本代表に選ばれてから「結果を出さなきゃいけない」という意識に苦しめられていた時期もありましたけど、2年間のオランダ留学がきっかけになって、結果を出すことが人生の目的じゃないってことに気づけました。

― 結果を出すことは目的じゃない?

小平:スポーツは自分の心を豊かにするためだったり、人生を豊かにするための「手段」であって、目的ではない。それに気づけたことで、体が「フリー」になったんです。うまく言えないんですけど、自分の中に滞っていたものが流れ出したというか。そうしたら、逆に結果に結びつき始めました。

― でも、トップアスリートとして努力を続けてきたんですから、負けず嫌いなところがなかったわけではないですよね?

小平:負けず嫌いな部分もあったとは思いますが、人に負けたくないという思いより、自分のなかで、できないことへの悔しい思いが強かったのかな、と思います。末っ子で、姉たちと歳が離れていたので、姉たちはできるのに自分ができないことが多くて、悔しさみたいなものはいつもありましたね。

「やり遂げる」を積み重ねた先に夢中が見つかる

― 昨年、競技を引退されました。「人生をスケートだけで終わらせたくない」とおっしゃっていましたが、今後やってみたいことは何ですか?

小平:ありがたいことに、色んな方から講演をはじめ、さまざまなご依頼をいただいています。競技と違って、自分でコントロールできない部分と闘っているところはありますが、そこでどんな人とどんな繋がりが生まれるか、やってみなければわからないので、今は目の前のことを一生懸命やってみようと思っています。
その先は、私の存在が誰かの学びのきっかけをつくれたらと思っていて、将来的には、学校ではなく日常生活にも組み込まれない、第3の居場所をつくりたいですね。

― 小平さんにとってのリンクのような場所ですか?

小平:確かに私に関して言えば、リンクはサードプレイスになりえました。ただ、アスリートにとって、ときに競技場というのは追い込まれる場所でもあります。熱中するなかで追い込まれてしまった人が、ちょっと視点を変えられるような場所にしたいですね。それは一人ではできないことなので、仲間を見つけながら、になります。

― 次の挑戦が楽しみです。最後に、「夢中に出会いたい」子どもたちにメッセージをお願いします。

小平:今、目の前にあることをやり遂げる、その積み重ねの先に「これだったら夢中になれる」と思えるものが見つかると思います。中途半端にならず、自分のなかに覚悟をもって、目の前のことに一生懸命になれれば、道が拓けるかと思います。

― 小平さん、今日はありがとうございました!

Profile

小平奈緒さん
相澤病院所属、信州大学特任教授

1986年生まれ、長野県茅野市出身。信州大学教育学部卒。3歳からスケートを始め、国内外の大会で37連勝を記録するなど世界の第一線で活躍を続けた。2018年平昌五輪スピードスケート女子500メートルで金メダル、同1000メートルで銀メダルを獲得。2022年で現役を引退。現在は母校・信州大学でキャリア形成や健康科学に関する授業を担当するほか、講演活動などで多忙な日々を送る。